真珠色の革命時代 映画・本などの感想ブログ

ブログ名はTHE YELLOW MONKEYの名曲から拝借しております。

ロブスター 感想

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〈基本情報〉
2015年製作/118分/R15+/アイルランド・イギリス・ギリシャ・フランス・オランダ・アメリカ合作
原題:The Lobster
監督:ヨルゴス・ランティモス


〈あらすじ〉
"あなたは何の動物になりますか?
“独身者”は、身柄を確保されホテルに送られる。 そこで45日以内にパートナーを見つけなければ、
自ら選んだ動物に変えられ、森に放たれる。 そんな時代、独り身になったデヴィッドもホテルに送られ、
パートナーを探すことになる。
しかしそこには近気の日常か潜んでいた。
しばらくするとデヴィッドは“独身者”が暮らす森へと逃け出す。
そこで彼は恋に落ちるが、
それは“独身者”たちのルールに反することだった。"
(引用元:https://www.finefilms.co.jp/lobster/


〈感想〉
なかなか難解な映画でした!(笑)
わたしのように映画リテラシーがそんなにない人間にとっては少し解釈に苦しむ映画だったのですが……。
これは恋愛映画であることは間違いないが、恋愛とは……?を追求する映画だったのではないかと思います。


パートナーがいなければ動物にされてしまう。
この世界は、あきらかにディストピアです。
理性や、感情や、さまざまな性的指向がある人間が、「パートナーがいない」だけで、繁殖こそが生きる意味である動物にされてしまう。
恋愛以外にも、人間にはもっとやるべきこともやりたいこともいっぱいあるよ!そういう人だっているんだよ!と、恋愛至上主義ともいえる世の中に物申したいのではないか?と思いました。


また、「パートナーを探さなければならない」という状況におかれるとなかなか乗り気になれないけど、「恋愛してはいけない」という環境だとなぜか人間は惹かれあってしまう……こういうの、あるあるだし、それこそ禁断の恋的に今までどんな媒体でも描かれ尽くしてきたストーリーラインですよね。
厳格なルールのもとで、破ればひどい目に遭うのはどちらも同じなのに、恋愛を強いられる環境下ではうまく恋愛ができず、逆に禁じられる環境下では愛を止められない。
そこにある種恋愛の滑稽さ、歪さのようなものが現れていたように思います。
つまり、ホテルの支配人が説明していたように、動物に変えられたとて、伴侶は探せるしセックスもできる。
でも森にいればパートナーはつくれないし、セックスもできない。
できないといわれるとやりたくなっちゃう、愚かさが見えた気がしました。


また、恋愛における嘘を描くシーンも多かったように思いました。
口では愛してると言うものの、命が危険となればすぐ妻を売り渡す支配人の夫。
自分との共通点が嘘であることを炙りだすために主人公の兄(犬)を殺し、まんまとそれを証明すると、「嘘の上に恋愛関係は成り立たない」となじるサイコパス女。
彼との共通点を失ったことが恐ろしく、失明を隠そうとするも「あなたに嘘をついてもいずれバレる」と自ら打ち明ける"近視の女"。
恋愛やその延長線上である夫婦関係とは、サイコパス女の言うこととは逆に、嘘の上に成り立つ関係であることの暗示でしょうか。
嘘をつきとおすことの難しさ、それでも何らかの嘘をお互い隠し通してこその関係である、恋愛の特殊さが見え隠れする場面たちでした。

 


そして、主人公がやたらと“近視”にこだわること。パートナーとの共通点探しのほかに、近くのものがよく見えない=恋愛の周囲がよく見えなくなるあの感じのメタファーなのかな、と思います。
しかし、パートナーが失明し、完全に盲目になってしまうと、少しずつ熱が冷めていく主人公。
一緒に森から逃げ出したラストシーンで、自分の目を潰し自ら彼女と同じ盲目になろうとするも、ためらってしまう……。
そして、彼を待つ“近視の女”のロングショットで唐突に映画は終わります。
盛り上がっている恋愛のさなかにいれば、ちょっとやそっとの障害もスパイスになるんでしょうが、いざ生活をともにする、ずっと一緒に生きていくとなるとそうもいかない……という現実的な目線だったのでは?
そういう意味では、罰として彼女の視力を奪った"リーダー"はこのことを知らしめたかったのかもしれません。あのあと彼が自ら盲目になったのかどうかは誰にもわかりませんが、わたしはきっとなっていないと思うなあ……。


〈まとめ〉
恋愛とは?について、深く考えさせられる映画でした。恋愛経験がないことや、パートナーがいないことを笑うような風潮もいまだありますが(これはとても良くないことだと思っています)、独り身でいる自由があってこそ、恋愛をする価値があると強く思いました。
何かに脅えて無理にパートナーを見つけようとしても、また、抑圧された環境下で場当たり的に愛し合っても、やっぱりうまくはいきません。
誰をいつ愛するか、もしくはずっと誰も(恋愛的に)愛さないか、その選択肢が個々人にあるからこそ、わたしたちは繁殖を第一目的にする動物ではなく、理性と感情と文化を持った人間でいられるのではないでしょうか。